実家での安静生活

自宅安静中とは言っても
絶対安静とか、さほどきつく言われてはいなかったので
体が大丈夫そうな時や、病院への帰り道
妹がお休みの時などは
近場へ買い物に行ったり
ごはんを食べに行ったりも出来ました。

家では、妹のお弁当をお母さんが作って
私はそのおかずやお味噌汁を、お弁当箱に詰め詰め、
おにぎりにぎにぎ係を担当。
夏場は、朝の4時45分出勤という!
早朝も早朝だけど
暑い夏でも朝の空気は全てが新しく一掃されていて
とってもとっても気持ちが良かったので
この係は気に入っていました。

洗濯物を干して、たたむ。
お風呂掃除や玄関掃きはたまに…
くらいのことしかせず
あとは、座敷で読書やお昼寝の毎日です。

妹が勤めている農園からいただいて
もって帰ってきてもらえる野菜や果物たちが
美味しくて美味しくて。
苺、トマト、きゅうり、桃♡
ほんとにどれも味が濃くて、美味しく頂ける日々。
(苺はつわりの最中が多かったんだけど)
スイカやイエローキング(メロン)を
好んで好んで、いただいたりしてました。

夜は食べ過ぎるとしんどくなるので
控え目に努めながら。

3月半ばからの、実家にお世話になりっぱなし生活も
3ヶ月…4ヶ月…と、どんどん日を重ねていきました。
お母さん、妹、
それに、旦那さんのお昼ご飯や夜ご飯を用意してくださる
旦那さんの実家のお母さん、
お父さんに、弟くん
たくさん助けていただいて
本当にありがたいです。
二人ともの実家が近いんだけど
それって、すごく心強いなぁと実感する日々を送っています。

旦那さんは途中、季節も本格的な夏を迎えて
体力的にも相当疲れてきてたと思うのに
ひとり暮らしでの家事を、弱音も吐かずに
頑張ってくれているようでした。
長い間、ごめんね。ありがとうね。

読書三昧★

家で安静に…
となると、もう出来ることは読書くらい。

読み始めればすぐに眠ることが出来るほど
活字は苦手でしたが
結婚当初、本屋さんに勤める読書家の友達から
私が好きそうなのを数冊教えてもらっていたこともあり
図書館で借りて読んでみることに。


瀬尾まい子
坂木司
有川浩

時間はたっぷり
マイペースに読み進めることができるので
意外や意外!
どれも楽しく読み進めることができましたー♪
私に合わせて選んでもらえたのも良かったんだと思います。
ありがとう♪

それに加え、

天然生活 という雑誌や
伊藤まさこさん、門倉多仁亜さんの
好きなキッチン回りに関する本

奇跡のりんご に関する本も選んでみたり
レシピ本なども混ぜ込みながら…

きっと、出産後には
また本から遠ざかってしまいそうだけど
今のうちに、波が来ているうちに
楽しみたいと思います★

次は、地元の友達からのお薦め

三浦しをん
西加奈子

読んでみよう♪

転院

近所のクリニックに通い始め
1週間置きに、4度目の診察を終える頃
漸く妊娠の認定がおり、証明書を出してもらえました。

年齢のことで、妊娠を続けられないこともあると
初日に厳しく言われていただけに、
心からほっとした気持ちになりました。

それから妊婦健診が始まったのだけど、
2度目くらいの時に先生から
子宮筋腫があると伝えられて、自覚していなかったので
すごくショックを受けました。
でも、先生の話によると
だからといって全て悪いわけではなく、
ここで経過を見つつ、大きくなっていくようなら
県病院への転院も考えておいて下さい、ということでした。

なんとか、近くでお産したいなぁって切に願っていた私は、
前向きに大丈夫大丈夫と思うようにしてたけど、
それからほどなくして、筋腫が大きくなってきた為に
県病院への転院が決まったのです。

さすがに少し凹んでしまったけど
なってしまったものは仕方ない。
落ち込むのは少しだけにしておいて、
気を取り直して流に身を任せることにしました。

転院先の県病院は、お世話になり続けている実家から
車で40分はかかる場所にあります。
昨年の春に交通事故に遭い、
遠くへの車の運転に馴れないお母さんが
仕事で付き添えない旦那さんに代わり
気丈にいつも私を送迎して、診察にも付き添ってもらうことになりました。
本当に、ありがとうが足りない思いです。

先生はサクサクとさっぱりした印象の女医さんで
エコーも丁寧だし、不安だった筋腫のことも
デカデカ筋腫ちゃんだねぇ、なんて言いながら
診察をしてくださったので、私の気構えは
いつの間にか何処かへ消えていきました。

2週間置きの診察に通っているうち、
内診で、胎盤が低めだと言われ
勉強不足な私がどういうことかと尋ねると
胎盤が子宮口にかかってしまうと、母子ともに危険なことも起こりうるというショッキングな話をきかされました。
つわりが少しずつ落ち着いてきた頃だったけど
とにかく、安静に、あまり動かないようにと告げられました。

またまた少しの凹みタイム…。
でも、すぐに立て直しにかかりました。

旦那さんの前では少し強がりも緩んだけど
不安なときは、いつも、大丈夫って、
はっきり言ってくれる彼に励まされました。
毎日近くで支えてもらっているお母さんと妹にも、
いつも気にかけて
私の様子を旦那さんから聞いてくださっている
旦那さんのご両親にも、心配をかけないように
まずは、先生のいいつけを守り、
経過がよくなるように祈りながら
大丈夫大丈夫と唱えたりして
実家で安静に過ごす日々が始まりました。

はじまりの日々 2

当初は、胃の不快感だけだったのが
私のつわりはどんどん程度を増して
酷いものになっていきました。

今年の1月末から始めたばかりのパートも
数日は我慢しながら勤め、その帰りに
夜は実家で食事を用意してもらったりして
助けてもらっていたけれど、
多忙な期間をひとまず乗りきった直後の3月17日頃から
食べ物を受け付けなくなって、
遂に出勤不可能な状態になってしまいました。

勤め先の方は皆、ほんとうに親切で
親身に体を労ってくださり、理解してくださり
新米の私を、なんと休職扱いにしてくださいました。
本当にありがとうございます。
そうして感謝の気持ちで満たされながら
安心してつわりと向き合う生活が始まりました。

とてもアパートでは暮らせなかったので
実家に全てを委ね、すっかりお世話になることにしました。


思い出すのもつらい、食べられない日々が続き
体重は10㎏ほども落ち、自分でも
鏡の前の自分が自分と認識しづらくなるまでになってしまいました。
まだ肌寒かった頃から、お母さんと妹にも心配をかけ
少しでも口に出来るものを考えて用意もらったり
夜の湯タンポを欠かさず入れてもらったりと
本当にどれだけお世話になったことか…。

旦那さんは、仕事も忙しい最中、
毎日のように実家に寄って顔を出してくれ、
何か食べられるものはないかと、ゼリーや飲み物などを
たくさん持ってきてくれました。
寝たきりの私の顔を覗きこんで、心配そうな眼差しを向けて。

いくつもの山が来ては去って
その頃には、整体師であるお姉ちゃんの旦那さんにも、
遥か宮崎から電話で診察をしてもらい、
体を温める方法である、熟成3年ものの焼き味噌を食前に食べるとか、
熊笹のエキスである「サンクロン」が胃に良いから
炭酸水と一緒に飲むといいとか、いろんな事を教えてもらいました。

そして、車や家など新建材や人工のものは
新しいうちの3年間は、やはり体に良くないものを発しているので
可能なら避けるか、換気に努め、EMRを吹き掛けるなどしたほうがいい、など。
そして、裏の工場から発する空気も体に良くないことなど。
丁寧に細かく診察をしてもらいました。

でも、つわりというのは、きれいな赤ちゃんを産むために、お母さんの体から毒素を排出する大事なことだと教えてもらって、頑張って耐え抜こうと心に決めたのでした。

近くにも、遠くにも、
たくさんの大切な事を教えてもらえる家族がいて、
とても心強く、幸せです。

はじまりの日々

春もうららかな3月14日

3日くらい前から何だか胃の調子がすぐれなくて
おかしいなぁ、食べ過ぎたのかなぁ
なんて思ってたけど、ちっともよくならない。

勘の鋭い旦那さんは、この頃からもうわかってたっぽいんだけど
冗談めいた口調で、もしかして?
なんて言うから、こっそり検査薬で調べてみると
説明書の反応待ち時間を全く無視したすぐさまの陽性万能!

ふわぁっと体の体温が上がって
ほわほわした気持ちになったけど
まだ確信できないし、旦那さんには黙っておいて
次の日、近くのレディースクリニックを初受診しました。

クリニックに着いた頃、
偶然にも、お母さんから電話が入り
具合が悪いのだと話すと心配して駆け付けてきて、
終始気分の悪い私は、そんなお母さんに
この人生初の診察に付き添っててもらいました。

診察室で目にした、小さく速く鼓動する小さな小さな心拍。
これが赤ちゃん…。
言葉もなく感動してしまいました。

と同時に、ほんとに私も母親になるのかな
ほんとかな…
なんて、不思議な気持ちにも包まれました。

待合室のお母さんに、
大切に育ててもらってきた大切な私のお母さんに
いちばんの報告ができました。

安堵の表情で、良かったね。と、
落ち着いた口調で声をかけてもらって
私もほっと、安心できたのを覚えています。

旦那さんにも、直接顔を見ながら伝えたかったけど、
何度も何度も、携帯電話にメッセージが入ってきたので、
これ以上は延ばせないなぁと断念して報告。

まじで?
という短い文字を送ってきた彼の携帯電話の奥の顔を
きっと、すごく喜んでくれてるんだと想像しながら帰りを待って、
今度こそその表情を逃すまいと見つめながら
びっくりした?って聞いたら
なんか、照れて恥ずかしそうな
むずむずしたような顔つきで、
何をしゃべったかなぁ…
手放しで喜びを表現するタイプじゃないんだけど
おとなしくも、嬉しそうな様子が見てとれて、
私もくすぐったいような嬉しさを感じました。

旦那さんが喜んでくれてることが伝わってきたのは
その頃、既につわりで家事が出来ずにいた私の代わりに
洗い物をしてくれながら、ふいに
名前はねぇ、女の子なら…、男の子なら…
と喋り出したこと!
もう名前をあれやこれやと考えはじめてたのねと
私の方がびっくりしたくらい。
でも、それがすっごく嬉しくて嬉しくて
あぁ、私、幸せやなぁって、しみじみと嬉しくなったのでした。

新しい命の記録♡

初めてのマタニティライフ♡
想像していたような優雅ではない毎日…!!

ここまでいろ~んな事があったけど
ちゃんと記録できてなかったので
少しずつ思い出しながら、
今までの大切な気持ちを、ここに留めておこうと思います☆



2014年8月25日
妊娠30週目に入りました。

8月8日から、切迫早産で入院中の私は
それからずっと、1日中ベッドの上で過ごしています。
検査や診察を受ける合間、
本を読んだり、TVをみたり、ぼーっとしたり、眠ったり。
ここで言う安静って、座ってるのも良くないらしくてびっくり。


そんな時間を過ごすうちに
今のこの気持ちを書き留めたいなぁと思い立って
少しずつ、記録を始めたいと思います。

思えば春のうららかな3月14日。
はじめてのレディースクリニック受診で
妊娠を告げられたときのなんとも言えないほわんとした気持ち。
エコーに映された小さな小さな心臓が
ぱくぱくと確かに鼓動していて感動したな。

2、3日前から胃の調子が悪いのかなぁと思ってたけど
旦那さんは早々に感づいてたみたいで…
産婦人科受診の前日に、検査薬でこっそり調べてみたら
即効の陽性反応!
驚きと嬉しさが半々のなか、
いやまだわからないからな~と、
旦那さんには内緒にしたまま、病院へ。

偶然にもお母さんから連絡をもらって、
心配して駆け付けてもらって
大切な母親に、いちばんに報告できました。
ほっとしたような顔。
良かったと言ってもらえて安心できた。

仕事中の旦那さんには
後からゆっくりと、顔を見ながら直接言いたかったんだけど
何度も何度もLINEが入ってきてて
これ以上待てないな~と断念し、報告。

やっぱり文字では見えない反応が気になったけど
まじで?と言いつつ、たぶんとても喜んでくれたみたい。
家に帰った彼は、既に悪阻で家事のできない私の代わりに
洗い物をしてくれながら、
名前はねぇ~…って話しはじめて
あぁ、私、幸せやなぁって、改めて
赤ちゃんを身ごもった幸福を実感したのです。


悪阻は私の想像の粋をはるかに越えたものでした。
次々に形を変えてやってくる悪阻を乗り越えてきたけど
ほんとは今もまだ少し、残ってたりもします。
食べられない期間が続いて、体重は10キロほど落ち
頬も体の筋肉もそげおちて、お風呂も満足に入れなかったあの頃。
周りの方々に心配をかけつつ、実家でお世話になって
お母さん、妹に、ものすごく大切に親身に看病してもらいました。
まだ寒さを感じる季節、毎晩欠かさず湯タンポを用意してもらったり。。消化のいいごはんを特別に用意してもらったり。。
ありがたいなぁという感謝の気持ちでいっぱいになりながら
少しずつ、少しずつ、乗り越えてきました。

その間、旦那さんは
仕事帰りで疲れているはずなのに
しんどくて素っ気ない態度の私の様子を見に
実家に顔を出してくれていたのでした。
少しでも食べられるものはないかと、
手にはゼリーや飲み物を提げて…。
ありがとうね。

そんな頃、様子をみようと言われていた子宮筋腫が大きくなってきたらしく、近所の個人クリニックから、大きな病院への転院がきまり、以降、こちらでお世話になっています。
ハイリスク出産と言われる、個人クリニックでは対応できない妊婦さんたちが通院されています。

子宮筋腫に加え、胎盤も低めであるということから
しっかり安静にしていなさいと言われました。
年明けからパートで勤めはじめていた新米の私であったにも関わらず、休職させてもらえることになり
理解のある優しいご対応に、心から感謝しています。


転院した頃から、徐々に食欲も戻ってきて
まるっきり食べられなかった頃から
1食…、しぱらくして2食…と消化できるようになりました。
それには、お姉ちゃんの旦那さんである整体師さんの、
電話による診察の効果もありました。
忙しい中、時間を見つけて、電話越しに診察をしてもらい
体を温める、3年以上の熟成ものの焼き味噌や
消化に効くサンクロン(熊笹のエキス)を紹介してもらったり…

中山道ハムのお姉さんからも、
冷たいものなら食べられるかもと、
ブルーベリージャムをいただいたり。

みんなに優しくしてもらいました。


実はその頃、お姉ちゃんも妊娠後期に入っていて
なんと、私たちは同級生の子の親になるようです♪


あれやこれやと思い出しながらなので
時系列はめちゃくちゃだと思うけど…
たくさんのあたたかい気持ちに支えられて
ここまで来ることが出来ました。
ほんとにほんとに、感謝してもしても、しきれません。